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大阪地方裁判所 昭和33年(ワ)162号 判決

原告

佐藤聡江

被告

大阪パシフイツクタクシー株式会社

主文

被告は原告に対し金一〇万円を支払え。

原告その余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の負担、其の余を原告の負担とする。

此の判決は、原告勝訴部分に限り、原告において金二万円の担保を供するときは仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、被告は原告に対し金一、〇七九、〇〇〇円を支払え、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、請求の原因として、

一、原告は昭和三二年七月一四日午後一〇時一〇分勤務先である株式会社天心楼から帰宅のため、南北に通ずる大阪市内御堂筋上淀屋橋より一〇〇米南方大阪市東区北浜四丁目五一番地先十字路を東より西に向け横断中、御堂筋を南進して来た自動車二台を認めたので道路中央の白線上に佇立していたところ、前車は左にハンドルを切り所定のコースをそのまま走り過ぎたが、後車を運転せる被告会社の被用車訴外堀井伊津彦(以下訴外人という)は被告会社所有一九五七年式トヨペツトを運転し、御堂筋を時速約五三粁で先行車と約一三米の距離を隔てて白線を中央軸線として疾走し来りそのまま直進して原告に衝突し、車体前部で原告をはねとばして転倒せしめ原告に脳挫傷、右耻骨骨折、右排骨複雑骨折、左鎖骨骨折、右脛骨骨折、左下腿挫創、顔面両手擦過傷等の傷害を蒙らしめた。

右事故は、右訴外人が自動車運転者に要求されている前方注視義務其の他職務上の注意義務を怠つた過失に因るものであり、被告会社のタクシーの事業の執行につき惹起したものであるから被告は訴外人が原告に加えた右事故による損害を賠償すべき義務がある。

二、原告は右事故により直に回生病院に入院して治療を受け、同年一二月退院したが、全治するに至らず、常に左の耳に圧迫感を覚え、左肩を下にして寝ることが出来ず、絶えず肩がこり、歩行困難等の状態で其の後も引続き、或ときは内科に、或る時は眼科に、また耳鼻科、産婦人科にと病原がわからないまま医者に通い、昭和三五年二月に至り漸く病因が心臓神経症と判明したが爾来一週に一度阪大神経科に通院している現状である。

原告が右事故により蒙つた損害は被告支出のものを除き別紙損害計算表記載のとおり、合計金一、〇七九、一〇六円である。

(1) 右表一記載のものは、本件事故により原告が身につけていた衣類等を破損したことによる損失、回生病院に入院中並びに退院後治療を受ける要した費用である。

(2) 同表二は、原告入院中原告のため附添つて看護に当つた母が原告の入院中に支出した諸経費並びに母が右看護により喪失した一日金百円の割の内職による得べかりし利益である。

(3) 同表三は原告の勤務先株式会社天心楼における得へかりし利益である。即ち原告は同会社で毎月得ていた金一〇、二五〇円の収入から本件事故により勤務出来なかつた四ケ月間毎月支給された金四、〇〇〇円を控除した額及び昭和三二年末に同会社従業員に支給された一ケ月給料の半額を本件事故により喪失した。

(4) 同表四の慰藉料は、原告が本件事故により深刻な精神的打撃を受け、正常な日常生活に障碍を来したことによる何物にも代え難い無形の損害に対する賠償額である。

三、よつて、原告は被告に対し、右損害のうち金一、〇七九、〇〇〇円の支払を求めるため本訴に及んだ、

と陳述し、

被告主張事実中、被告が主張の如く入院費、治療費として金二一一、三〇〇円、附添人に金五七、二二〇円の支払をなした事実は認めるが、本件事故発生につき原告に過失があつたとの事実は否認すると述べた。(証拠省略)

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として、原告主張事実のうち、原告主張の日時場所で、被告会社の被用者訴外堀井伊津彦の運転せる自動車が原告の身体に接触し、原告が負傷した事実は認めるが、其の余は争う

一、本件事故当時の状況は次の通りである。

訴外人は事故当日午後一〇時頃大阪駅で難波に行く乗客一名を乗せ淀屋橋に向い、同所交叉点において信号待ちの後、時速約四〇粁位の速度で御堂筋を南進し、事故現場附近にさしかかつたが、同所はオフイス街で夜間は道路両側からの照明がないため薄暗く、殊に事故当時真夏で街路樹の銀杏が繁茂し、緑地帯にあつた街灯の光線を遮断していたので南進するのに前方の見透が極めて悪かつた。訴外人は疾走せる相当数の自動車に交り先行自動車の約一三米後を追尾して進行していたところ、先行車が急に速度を落し、左にハンドルを切つたが、訴外人はそのまま直進した。するとそれ迄先行車の蔭になつて見えなかつた原告を発見したので急停車の措置をとつたが及ばず本件事故を惹起したのであるが,本件事故現場は自動車の交通頻繁なところで、しかも信号設備のない個所であるから、斯様な車道を横断せんとするものは、車道上の自動車の進行が途絶えて、これと衝突の危険のないことを見極めて車道に立入るか、車道に立入つた後自動車の進行して来るのを認めたときは、所定の安全地帯に待避し自動車の通過した後横断する等事故発生防止に努むべき義務があるのに原告は右注意義務を怠り、漫然車道に立入り、自己の進路の横から自動車が疾進して来るのを知るやはじめて危険を感じ車道の中央部附近に佇立していたため本件事故を惹起するに至つたのである。故に、原告の負傷は原告自らの重大な過失がその因をなしているというべきであるから、被告は原告の損害賠償請求に対しその額につき過失相殺を主張する。

二、被告は本件事故発生後直ちに原告を回生病院の個室に入院させ、其の後入院費治療費として回生病院に金二一一、三〇〇円、原告の入院中の附添婦に金五七、二二〇円、原告に昭和三二年七月一八日から同年一二月九日までの間に二〇回に亘り原告の給料相当額として合計金三六、六〇〇円を支払つた。被告はかくの如く原告に対し手厚い看護に努め被告会社社員の吉岡繁を連日病院に派遣して慰問に意を用いたのであるが、なお原告の精神的苦痛に対し慰藉料名義で金七万円追加支払を申出たが、原告は過大な要求をしてこれに応じなかつた。

三、原告は本件事故発生日である昭和三二年七月一四日より約一年を経た昭和三三年六月頃結婚し、昭和三四年八月六日分娩している。右分娩にあたつて原告は帝王切開の手術を受けていない。従つて、原告が其の後身体に原告主張の如き障害ありとしても、本件事故のみがその原因であるとは断じ難い。以上の如く述べた。(証拠省略)

理由

原告の主張日時場所において、原告が被告会社の被用者訴外人の運転せる原告主張の自動車に接触衝突し、原告が負傷したことは当事者間に争がない。

先づ、右事故が訴外人の過失によるものかどうかを検討するに、いずれも成立に争なき甲第三、四、五号証と、証人河津正光、同堀井伊津彦、の各証言と原告本人の供述(一部)を綜合すると、本件事故現場は、大阪市内御堂筋と北浜通りと交さした御堂筋南北四〇粁疾行車道上で、南東の緑地帯先端より北に約二・六米の位置にあたり、御堂筋は南北に通ずる巾員約四四・四米の歩車道及び緩疾行車道の区別のある直線平坦道路で、車道中央にセンターラインを引き、南行北行を区分し、更に疾行車道を四分してセンターラインより東西に三三米を四〇粁車道、三二米を三五粁車道とし、これより約一〇糎高く巾員各約四・七米の緑地帯、これより一〇糎高く巾員約五・五米の緩行車道、更にこれより一〇糎高く巾員約五・五米の歩道があるが、車道は緩疾行車道ともアスフアルトで舗装され歩道はコンクリートで舗装されて居り、共に一般に凹凸はないが、現場交さ点の中央やや南寄りに巾約三〇糎高さ一〇糎のアスフアルトの継目の凸部があり、疾行車道を横切つて居り、現場の北方約六〇米の地点に天満川口線と交さした淀屋橋交さ点があり、南方約三〇〇米の地点に平野町四丁目交さ点があつて、右各交さ点には信号機による交通整理が行はれているが、本件事故現場には信号機並びに横断歩道の各設備なく交通整理が行はれていない、事故現場を中心として南北の見透しは十分で、自動車の通行が頻繁であるが、現場並びにその附近には交通を妨げるような障碍物はないこと、訴外人は事故発生時、原告主張の自動車を運転し、御堂筋を時速約四五粁で先行タクシーと約一三米の距離を隔てて南進し来り、前記事故現場の十字路で先行タクシーがハンドルを左に切ると共に制動したのを認めたが、およそ、自動車運転者は速度制限(制限時速四〇粁)に従うは勿論同所は十字路であるから歩行者などが自己の進路を横切らんとすることは当然予想し得べきことであり、斯る場合前車の措置に即応し直ちに徐行し、前車が方向を転したためそれまで前車の蔭になつて見えなかつた障害物などを前方に発見したときでも直に停車或はこれを避けて進行しうるよう事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、不注意にも漫然前記高速度で直進した過失があつたため、前車がハンドルを左に切つた瞬間自己の進路上に自動車の側において衝突を避けてくれるものと思つて佇立していた原告を約一四・六米前方に発見して急遽停車の措置をとつたが、間に合はず、車体前部で原告をはねて転倒せしめたものである事実を認め得べく、右認定を覆へすに足る証拠はない。

被告は、右事故発生は被告主張の如くむしろ原告の不注意に因るものであると抗争するので考えるに、御堂筋は前記のとおり巾員四四・四米の歩道、緩疾行車道の区別のある道路で、自動車の往来頻繁であり、本件事故現場の十字路には信号設備がないから、歩行者がその疾行車道を横断する際は自動車の往来が一時途絶えてこれを衝突する危険がなくなるまで待ち、その危険のないことを見極めて急いで横切るか、車道に立入つた後自動車が自己の進行方向に向けて疾行して来るのを認めたときは、疾行車道に漫然佇立することなく、適当にこれを避譲する等事故発生の防止に協力すべき義務があることは勿論であるところ前記認定事実によれば原告が緑地帯から疾行車道を約六米横切り右道路の中心線附近に至つたとき、約一四米近くまで原告に接近して疾走して来る訴外人運転の自動車を認め、安全地帯に進退する暇もなく、そのまま佇立していたものと認められるから原告が本件事故現場の御堂筋を横切らんとしてこれに足を踏入れたとき既に本件事故発生を予見し得たのに不注意にもこれを予見しなかつた過失がなかつたとはいえないけれども、原告が右の如く車道に佇立していたため訴外人が前記の如く業務上要求される注意を怠らなくても原告との衝突を避け得なかつたと認むべき特段の事情が認められない本件の場合、訴外人が業務上要求される注意を怠らなかつたならば原告と衝突前に停車する等本件事故を避け得た筈であると認められるから、本件事故は訴外人のみの過失により生したものといわなければならない。よつて、その反対の見解に立つ被告主張の過失相殺の抗弁は採用出来ない。

次に、原告が本件事故により蒙つた損害につき検討するに、原告が回生病院に入院中、入院料、治療費等金二一一、三〇〇円附添婦に対する給料金五七、二二〇円につき被告において負担の上その支払をなしたことは当事者間に争なく、其の他原告は本件事故により別表記載のとおり損害を蒙つたと主張し、原告本人は慰藉料を除き右主張に副う供述をしているけれども、右供述だけでは同表一、二の損害の額を確認するに足らないのみならず、同表一(7)乃至(11)の品目は本件事故と相当因果関係に立つ支出項目であるとは認め難く、同表二の原告の母に要した支出について、原告の通院に附添人を必要としたとの事実を肯認すべき証拠がない以上これ又右支出が本件事故と相当因果関係に立つ損害であるとは認められない。次に、原告が本件事故当時勤務先の株式会社天心楼より給料金八、五〇〇円、実物給与として金一、七五〇円相当の支給を受けて居たところ、本件事故により欠勤のため昭和三二年八月より同年一二月まで毎月金四、〇〇〇円を支給されていたこと並びに若し原告が右の期間無事勤務して居れば金五、一二五円の年末賞与を支給される筈である事実は弁論の全趣旨並にこれにより成立を認め得べき甲第二号証及び原告本人の供述によりこれを認め得るけれども、成立に争なき乙第三号証の一乃至二〇と証人吉岡繁の証言及び原告本人の供述によれば、被告は原告の入院中、二〇回に亘り、合計三六、六〇〇円を入院中雑費として原告に支払つた事実を認めることができる。右の事実並びに証人吉岡繁の証言を綜合すれば、右支払は名目は入院中雑費ということであるけれども、その実質は原告が勤務することができないため勤務先より毎月四、〇〇〇円しか支給されないので、原告の得へかりし給料不足額相当として被告が原告に支払をなしていたものであると認めるのが相当である。右認定に反する原告本人の供述は採用し難く、成立に争なき甲第八号証の一、二によれば、被告より原告に支払はれた右金三六、六〇〇円は原告が入院中病院において同号証に記載の如く飲食費其の他生活費に全部使用した事実が認められるがこれをもつて、前記認定を覆す資料とはなし得ない。次に、成立に争なき甲第一号証弁論の全趣旨により当裁判所において真正に成立したと認める甲第六号証、同第七号証の一、二及び原告本人の供述によれば、原告は本件事故により身体に原告主張の如き傷害を受け、回生病院において治療を受けた結果漸く退院し得る様になつたとはいうものの、全治するに至らず其の後も頭部外傷後遺症のため心悸亢進、眩暈、胸部圧迫感等身体の機能障害に悩まされていること、原告は昭和三三年六月二三日結婚し、昭和三四年八月六日帝王切開の手術はせず無事分娩を終えたが、昭和三三年五月二〇日より昭和三四年一二月まで二、三ケ月毎に前記症状のため医師山口貢より強心剤の注射等の治療を受け其の後も大阪大学医学部附属病院にて医者の治療を受けている状態であつて、原告は本件事故により深刻な精神的苦痛を受けている事実が明らかである。以上認定の事実によれば右精神的苦痛に対する慰藉料は金一〇万円をもつて相当であると認める。されば、被告は訴外人の使用者として、訴外人が被告の事業たるタクシーの運転の業務に従事中原告に与えた傷害の賠償として右金員を原告に支払う義務がある。

よつて結局右認定の限度において本訴請求を理由ありとして認容し、其の余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 大江健次郎)

損害計算表

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